2024.12.02
オススメの本③(ネガティブ・ケイパビリティ)

こんにちは。
早良区 西新の歯医者 松尾です。
今日はオススメ本③になります。
先月ある鍼灸セミナーに参加しました。
講演をされた鍼灸師の池田政一先生のお話がとても素晴らしく、ネガティブ・ケイパビリティについて触れられていたのでご紹介致します。
ネガティブ・ケイパビリティとは
聞きなれない言葉と思います。
特に生きづらさ、先が見えない不安などを抱えている方に役立つスキルと思います。
早急な結論、過激な意見にとびつかず、すぐに解決できないことには
「急がず、焦らず、耐えていく」力
あるいは
「どうにも答えのでない、どうにも対処しようのない事態に耐える」力
を指します。
以下 AIの概要 引用開始
19世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツが弟に宛てた手紙の中で初めて使用しました。
キーツは、詩作においては完璧な理解や説明を求めるのではなく、むしろ謎や曖昧さを受け入れることで、より深い洞察や創造性を生み出すことができると考えていました。
その後、約160年後に英国の精神科医ウィルフレッド・R・ビオンが、心理臨床の場でこの概念を重視し広めました。ビオンは、患者と接する時に、ネガティブ・ケイパビリティが大切な素養であると捉えました。
引用終了
弟宛のキーツの手紙の中に、シェイクスピアも「ネガティブ・ケイパビリティ」を有していたと書いています。
対となるポジティブ・ケイパビリティ
ポジティブ・ケイパビリティとは、問題が生じれば「的確かつ迅速に対処する能力」や「わかりやすさ」を指します。
現代はむしろポジティブ・ケイパビリティを重要視する傾向があります。
脳の仕組みとして、人はあらゆることを「わかろう」とするためです。
脳は「よくわからない状態」を不安や不快に感じます。
従って、不確定なものへムリヤリ「意味づけ」し、一旦安心あるいは「わかった気」になろうとします。
だから
昨今「*タイパ」「一言で言うと」「効率」など「わかりやすさ」が注目されているのです。
*タイパ
(タイムパフォーマンス)とは、で費やした時間に対して得られる効果や満足度を表す言葉です。
効率的に時間を使って満足感を得ることを「タイパが良い」「タイパが高い」と表現します。
映画や動画などを1.5~2倍速で視聴する方が増えているそうです。
しかし
その「わかった」ことが「わかったつもり」だとしたらどうでしょうか?
・物事の本質
・社会の本質
・人のこころ
など、本当の意味で「わかる」ことはそう簡単ではありません。
ポジティブ・ケイパビリティによる「わかる」ことは、ザックリした「理解」であり、表層の問題のみを捉えて、深層にある真の問題を解決するには不十分です。
たとえば
AIやWikipediaなどはザックリ情報を得るには便利ですが、そういったツールだけで、すべての問題が解決したり、深い知識を得たりできるでしょうか?
医療現場で本領発揮するネガティブ・ケイパビリティ
今回の本の作者は精神科医の先生です。
作者の言葉を引用開始
私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。
むしろそのほうが、分かりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。
だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。
私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作行為も、随分楽になりました。
いわば
「ふんばる力」がついたのです。
それほどこの能力は底力を持っています。
引用終了
たとえば*終末期医療に置いては、特にネガティブ・ケイパビリティはその力を発揮します。
*終末期医療
終末期医療(ターミナルケア)とは、病気や老衰、障害などの進行によって余命が数ヶ月以内と判断された患者に対して、延命を目的とした治療を諦めて、身体的・精神的な苦痛を和らげ、生活の質(QOL)を維持・向上させる医療や看護です。
つまり医師にも本人にもどうしようもない状態、手のほどこしようがない状態と言えます。
だからといって医師が
「あきらめてください」
「ムリです」
と突き放すような言葉を、そういった患者さんに伝えることが「適切」でしょうか?
わたしには「愛のある言動」とは思えません。
作中にはこんな文章があります。
(終末期医療の現場で)
ここにはもう技法も何も存在しません。
主治医という人間と、患者という人間がいるだけです。
医師が患者に処方できる最大の薬は、
「その人の人格」であるという考えは
*正鵠(せいこく)を得ています。
*正鵠を得る
物事の要点や核心を的確につく、的をついているという意味。
人の病の最良の薬は人である。
何もできないとしても、患者さんにただただ
「寄り添う」ことで、救われる側面もあるのではないでしょうか。
池田先生の言葉
ある鍼灸師の方が言いました。
「先生ー 治せないときはどうしたらいいですか?」
先生
「治そうとなんかしたらアカン。治るかどうかなんて誰にもわからん。
ただし全力で治療しなさい。
治らん時、落ち込んどるやろ?だからこそ早くネガティブ・ケイパビリティの本を読みなさい。」
わたしの師匠の一人も似たようなことを言ってます。
患者さん本人が「治す」のであって、医療人はあくまで「治るお手伝い」をするだけ。
他人様を「治せる」なんておこがましい考えだよ、と。
やはり賢者は時に「同じ橋を渡る」んだなと実感した瞬間でした。
本ブログでは「医療とネガティブ・ケイパビリティ」を取り上げましたが、作中の項目には
「身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ」
「創作行為とネガティブ・ケイパビリティ」
「教育とネガティブ・ケイパビリティ」
「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」
などなど多くの方に役立つことが書かれています。
人生や社会では
・理不尽なこと
・割り切れないこと
・どうにもならないこと
などが起こりがちです。
答えの出ない状態でもふんばっていたら、いつの間にか答えが見つかったりすることもあります。
何とかしているうちに何とかなるものです。
ですので、今どん底だと思っている方でも、どうにかなると信じて頂きたいのです。
ご興味がある方は是非お読みください。
みなさまの幸せを願っております。